生まれ変わること

わたしは多分、日々の変化や衝撃にとても鈍いのだと思う。たとえば夏バテするほど練習し、クラリネットで参加して勝ち取った吹奏楽コンクールの金賞だとか。就職が決まって、地元を離れることになった引越しの当日だとか。意外にも早く決まった結婚と、披露宴の夜だとか。
人生のなかでたびたび訪れるいささか大きなイベントも、なんとなく来ることを受け入れ、なんとなくこなし、なんとなく「終わったのだなあ」と見送る。
実際に只中にいるときはそれなりに緊張もしていたと思う。けれど、結局それは通過点でしかない。人生の岐路ではあるかもしれないけれど、岐路は岐路でしかなく、「人生が変わった!」という感動は薄い。だからとても、わたしは鈍いのだと思う。
けれど、出産で人生が変わった。その時も、ひと段落ついた時に振り返ってみても通過点のひとつであるという思いはあったけれど、いま改めて、この一年を通して考えてみると、出産はわたしの人生を変えた。

うちの人とは同じ会社で働いているけれど、勤務時間も帰宅時間もバラバラなので、夕飯を作っておくということはほとんどしなかった。どちらかが休みの日に、気が向いたら用意する程度。交際、同棲生活を含めて約7年ほど、そんな生活を続けていた。変化したのは子どもが生まれてから。離乳食が始まり、いろいろな食材を与えるためにいままで努めて買わなかったようなものを買うようになり、あまったものを自分たちで処理するためにレシピを探して料理するようになったのだ。気づけばいまや、我が家の食事のほとんどはわたしの作る料理で賄われている。

そもそもの話、わたしはあまり、子どもが好きではなかった。うちの人も。じゃあなぜ子どもを作ったのかと聞かれると困る。自然な成り行きでできたとしか言いようがない。無計画だと詰られるかもしれないけれど、でもそれが真実だった。戸惑いながらわたしは妊娠を受け入れた。笑ってしまうのだけれど、「人間って妊娠するんだな」というとても当たり前のことを妙に感心していたことを憶えている。

実際に産んでみたら、子どもはすごくかわいい。産む前からかわいかったけれど(不思議な感情だ)、そのかわいさは日に日に増している。そしてなんと、これがわたしにとって一番大きな変化なのだけれど、よその子どもすらかわいく感じるのだ。

子どもの何が苦手かというと、コントロールの効かなさがあげられる。あの無秩序で、旁若無人で、恐れをしらない。そういうガチャガチャしたかんじ。思えばそれは、わたしが子供時代に親から徹底して排除させられた要素そのものだ。子供のころのわたしは、親の前では(あるいは大人たちの前では)お人形さんみたいに静かだった。子供らしい子供ではなかったと思う。生来のだらしなさというか不器用さというか、間の抜けた感じはさすがにごまかせはしなかったけれど、ただ、親がデザインした姿勢をなんとかキープしようと努めていたのだ。わたしが子供を苦手なのは、つまるところ、憧憬の裏返しだったのかもしれない。

子どもはかわいい。このかけがえのないものを、どうやって守っていけばいいだろうとよく考える。それまでおざなりだった政治について興味を覚えるようになり、周囲の環境に気を配るようになった。いままで自分(とパートナーの周り)が良ければとりあえず幸せだったのに、いまでは広く世界を見渡して、これからわたしの子どもが生きていく場所がどうであれば最適だろうと悩んでみたりもする。こんなわたしは、かつてのわたしではない。

ああ、わたしは変わったのだな、としみじみ思う。
子どもが生まれて、もう一年になる。わたしが母として生まれ変わって、もう一年。これからどんなふうに子どもは成長していくだろう。わたしも一緒に変わっていく。その変化を、楽しみにしたい。

コメント

このブログの人気の投稿

2018年10月の読書まとめ

2018年7月の読書まとめ

2018年9月の読書まとめ